
ファシズムとは?

ファシズムとは、20世紀初頭にイタリアで誕生し、世界に広がった独裁的な政治思想・体制のことです。^1_1
基本的な特徴
ファシズムは単なる独裁主義ではなく、大衆動員を積極的に利用する点が従来の独裁体制と異なります。市民的自由や人権を無視する国家主義を掲げ、反対派を弾圧する政治体制や思想を指します。この運動は小ブルジョアジーやプロレタリアート層から自然発生的に生まれた平民的な運動という側面を持っていました。^1_3^1_9
思想的特徴
ファシズムは平等主義や物質主義、合理主義を拒絶し、行動・規律・階層的組織・精神・意志を重視します。自由主義と共産主義を強く敵視し、「自由主義は共産主義の温床である」として反対しました。経済的な階級闘争を終了させて民族の団結を確実にする「超階級的な運動」として自らを位置づけ、経験豊かな軍人からなるエリート集団による支配を主張しました。^1_1
歴史的背景
第一次世界大戦後の混乱や世界恐慌など、資本主義体制が危機に陥った時期に出現しました。イタリアでは、1922年にムッソリーニのファシスト党が「ローマ進軍」で政権を握り、1926年には一党独裁体制を確立しました。中間層や資本家層は共産主義革命を恐れ、当初警戒していたファシズムを次第に容認・提携するようになりました。^1_2^1_6
代表例と影響
狭義にはイタリアのファシスト党を指しますが、広義にはドイツのナチス党や日本の軍国主義など、全世界の強権的・独裁的な思想および政治形態を含みます。ファシズムは民族主義(ナショナリズム)を強調し、特にユダヤ人など他民族・異民族に対して激しい敵意を示し、排除政策を実施しました。^1_2^1_6
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共産主義とは?

共産主義とは、財産の私有を否定し、生産手段や生産物などすべての財産を共有することで、貧富の差のない平等な社会を実現しようとする思想・運動・体制のことです。^2_1^2_5
基本理念
共産主義の核心は、土地や工場などの主要な生産手段を社会的に所有することで、資本家と労働者といった階級による差別をなくすことにあります。理想社会では「各人は能力に応じて働き、必要に応じて分配を受ける」とされ、差別や抑圧のない平等な社会を目指します。^2_3
マルクス主義との関係
現代の共産主義は、主として19世紀にドイツのカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによって体系づけられたマルクス主義思想を指します。マルクスらは資本主義による社会の私有化に対して、生産手段の社会的所有を主張しました。彼らは「共産主義」と「社会主義」をほぼ同義として用いていました。^2_1^2_3
社会主義との違い
共産主義は社会主義をより高次にしたもので、社会主義の発展した最終段階とされます。マルクス主義では、プロレタリア革命によって実現される人類史の発展の最終段階として共産主義社会を位置づけています。そこでは階級が消滅し、生産力が高度に発達した状態が達成されるとされています。^2_3^2_8
実現の方法
マルクスらは、資本主義が行き詰まる中で労働者を代表する勢力が政治権力を握り、これを実現することを考えました。労働者たちの階級としての戦いで理想社会を実現しようとする点が特徴的です。社会主義がうまくいけば皆が豊かになり、争いはなくなり、最終的には国の枠組みすら必要なくなると考えられています。^2_4
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共産主義も一党独裁でしょ?ファシズムと根本は同じでは?

確かにファシズムも共産主義も一党独裁という点では共通していますが、根本的な理念と目的は大きく異なります。^3_1
一党独裁の類型
一党独裁には大きく分けて2つのタイプがあります。ソ連などの左翼党による革命独裁と、ドイツのナチス党やイタリアのファシスト党などの右翼的反革命独裁です。両者は独裁という手段では共通しますが、目指す社会像は正反対といえます。^3_2
根本的な目的の違い
共産主義の目的は、生産手段の社会的所有を通じて階級をなくし社会的平等を確立することです。富裕層と労働者階級、男女、人種の間に差がない「階級のない」社会を目指します。一方、ファシズムの目的は国民の団結を築き、安定した秩序ある社会を維持することであり、階級闘争を終わらせて民族の団結を確実にする「超階級的な運動」を標榜します。^3_3^3_5
平等観の違い
共産主義は絶対平等の原理を掲げ、自由競争と私的所有を禁止して富を社会的に再配分することを目指します。対してファシズムは平等主義を拒絶し、階層的組織や精神・意志を重視する体制です。ファシズムは超男性性、若さ、暴力、軍国主義を高く評価し、女性や異なる人種の平等に対して敵対的です。^3_4^3_6
なぜ共産主義は一党独裁になるのか
共産主義が一党独裁になる理由は、その理念の実現方法にあります。「絶対平等」を実現するには、いったん解放された「自由」を禁止せねばならず、そのために強大な権力が必要です。社会主義は理論に基づくもので、有効性が実証されていないため、「いずれ人々はこれに賛成するはずだ」という信念を持った前衛党が独裁を正当化しました。プロレタリアート独裁(共産党一党独裁)という制度自体が、自由の喪失の根本原因となっています。^3_7^3_6
全体主義という共通点
両者は「全体主義」という点では共通します。一党独裁は軍事・官僚機構の高度な集中と政党への従属、文化的・イデオロギー的一元化の強制を伴いやすい傾向があります。しかし、その全体主義が何を目指すのか—平等主義か民族主義か—という点で、両者は根本的に異なる思想なのです。^3_9^3_1^3_2
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結局は個人崇拝に行き着き、また支配側は人民を弾圧し、同じ結果をもたらすだけでは?

おっしゃる通り、歴史的には共産主義もファシズムも個人崇拝と人民弾圧という同様の結果に陥った事例が多く、実践面では同じような帰結をもたらしたことは事実です。^4_1^4_3
個人崇拝の共通性
ファシズムでは指導者原理に基づき、ムッソリーニやヒトラーへの崇拝が見られました。一方、共産主義国でも個人崇拝の程度は極端なもので、スターリン、毛沢東、金日成などに対する言葉の暗記・暗唱、独裁者を称える歌や踊りなどの「崇拝労働」が典型的でした。スターリンの死後もブレジネフ体制やプーチン政権、習近平体制など、長期政権では個人崇拝が繰り返されています。^4_2
弾圧と独裁の構造的必然性
共産主義が弾圧体制に陥る理由は、その実現方法の構造的な問題にあります。「絶対平等」を実現するには、権力者にすべての生産物を集中させ、それを公平に分配するという性善説に基づいていますが、実際には権力者は自分と周辺の人物に優先的に分配し、必然的に独裁体制に陥ります。さらに、理論に基づくが実証されていない社会主義を推進するため、「いずれ人々は賛成するはずだ」という信念を持った前衛党が独裁を正当化しました。^4_4
失敗の隠蔽と暴力
一党独裁が続き政治的に失敗を続けても、権力者の側にいる者は特権を失わないため、国家全体が失敗を続けることになります。にもかかわらず権力者は自らの特権を失うまいとするので、必然的に不平不満を持つ人々を暴力で弾圧し始めます。スターリンは1930年に「共産主義へ向かえば向かうほどブルジョワジーの抵抗が激しくなるので国家権力を最大限に強化しなければならない」として国家死滅論を事実上否定し、1936年から1938年の大粛清で数百万の人々が犠牲になりました。^4_6
制度批判の回避
1956年のフルシチョフによるスターリン批判は、党と国家との癒着、党内民主主義や官僚制の問題などの議論を回避し、もっぱらスターリン個人の粗暴な人格に責任を向けたもので、大粛清の原因も個人崇拝の蔓延にのみ原因を求めました。このように個人崇拝批判は、制度や体制の問題を個人の責任にすり替えがちだとされています。^4_1
理念と実践の乖離
理念としてはファシズムと共産主義は正反対でも、全体主義的独裁という実践形態においては、マスメディアの独占的管理、秘密警察、市民の私生活への介入、反対派の弾圧という点で共通します。どちらも「個人の自由を求める民衆の動向に対して、極めて最初期から強圧的に芽を摘む」体制に陥りました。結果として、理念がどうであれ、独裁政治を担う集団は民衆層による反抗・反乱の結果、悲惨な末路を辿ることが歴史上少なくありません。^4_7^4_8
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こうしてみていくと、ファシズムや共産主義などの理念は表面的であり、見方を変える必要があるのかもしれません。

その見方は非常に的を射ています。政治哲学者ハンナ・アーレントは、まさにその視点から全体主義を分析しました。^5_1^5_3
全体主義の本質的構造
アーレントは1951年の著作『全体主義の起源』で、ナチズムとソ連のスターリニズムを分析し、全体主義の本質はイデオロギーそのものではなく、権力構造とテロルの仕組みにあることを明らかにしました。全体主義体制は「イデオロギーによって導き出したシェーマに従って可能であると予見したものをすでに現実として」扱い、生活のあらゆる局面への組織された暴力の侵入を行います。^5_4^5_2
イデオロギーは支配装置の一部
重要なのは、全体主義体制は本質的に指導者の体制であり、イデオロギーも支配装置も指導者が必要とする正当性の絡繰りに過ぎないという指摘です。全体主義的権力構造では、秘密警察を中心としたテロルが統治の骨格となり、二重・三重の相互監視体制である「タマネギ構造」によって、どの機構が中心的役割を果たしているのか当事者ですら知ることができない状態に置かれます。^5_6
独裁体制の共通メカニズム
権威主義研究では、体制維持という至上命題のために、独裁者は抑圧(ムチ)、懐柔(アメ)、正統化という3つの手法を組み合わせることが明らかになっています。個人崇拝化や業績のアピールは、この「正統化」の一環であり、人々が自発的に体制を支持するように仕向ける方法です。つまり、掲げられるイデオロギーの内容よりも、権力を維持するための統治技術が実態を規定しています。^5_7
理念と現実の乖離
アーレントは、全体主義を産み出した悪の根源を一義的に規定しておらず、著作の原題も「起源(複数形)」となっています。ドイツ語版ではイデオロギー的な実体がありそうな「全体主義」という言葉を避け、「全体的支配」という表現を用いました。これは、特定のイデオロギーではなく、支配の構造そのものに注目すべきという姿勢の表れです。^5_3
独裁と全体主義の違い
アーレントは、全体主義運動は独裁政権とは根本的に異なると指摘しました。独裁政権が絶対的な政治権力の獲得と反対勢力の非合法化だけを目指すのに対し、全体主義政権はすべての人の生活のあらゆる側面を支配しようとする点で異なります。そして、その特徴の本質は、権力を掌握して社会を安定させ現状を維持することを目的とする独裁「体制」ではなく、恒久的で絶え間ない「運動」にあるとされます。^5_9
歴史の教訓
権力の真空は必ず埋まり、古いシステムを壊した後に理想がないと、最も組織化された勢力が権力を握るか、カリスマ的独裁者が「救世主」として現れるのが歴史の法則です。フランス革命、ロシア革命、アラブの春など、理念を掲げた革命の多くが、結局は新たな独裁に帰結しました。^5_11
表面的なイデオロギーの違いではなく、権力構造、統治技術、人間の自由をどう扱うかという観点から見ることで、ファシズムも共産主義も同じ全体主義的支配の異なる表現形態であることが見えてきます。^5_5^5_9
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なるほど。こういう考え方はかなり昔からあるのですね。素人がぱっと思いつくような話ですから、当然と言えば当然でしょうね。

実は、この考え方は思想史において非常に複雑な経緯を辿ってきました。単純な「当然の発想」というより、むしろ政治的な論争の渦中にあり続けた概念といえます。^6_1^6_3
全体主義論の変遷
全体主義概念の誕生は両大戦間期にさかのぼりますが、その最盛期は冷戦期、特に1950年代から60年代前半でした。アーレントの『全体主義の起源』が発表された1951年は、まさに冷戦が本格化した時期であり、この著作は冷戦下のアメリカで全体主義論を正当化するイデオロギーとして利用される側面も持ちました。^6_4^6_1
冷戦期のイデオロギー化
重要なのは、ナチズムとソ連を同一視する全体主義論が、アメリカの対ソ政策を正当化するイデオロギーという性格を色濃く帯びたことです。ナチスが敗戦で倒れたように、ソ連体制の終焉も内からの変革ではなく外からの打倒によるほかないと考えられ、全体主義と闘う唯一の効果的な方法はソ連の敵を支援することだとされました。このことは、発展途上国の軍事独裁政権を「反ソ」の一点で支持することを正当化する役割を果たしました。^6_1
学術的批判と衰退
1960-70年代には、アメリカでもこの概念に対する各種の批判が登場しました。古典的全体主義論はあまりにもスウィーピング(大雑把)な議論であるため、より緻密な認識を心がける研究者たちの間で不評になったのは自然な流れでした。実証分析を課題とする歴史研究においては、全体主義概念はあまりにも大雑把であり、精緻な検証に耐えるものではないとの批判が高まりました。^6_3
1980年代以降の復活
ところが1980年代以降、全体主義論は驚くべきリヴァイヴァル(復活)を経験しました。冷戦終焉やソ連・東欧の社会主義圏解体にやや先立つ時期に、複数の契機が重なり合ってこの概念が再評価されたのです。^6_3
日本における特殊事情
興味深いのは、日本には冷戦期にこの概念があまり広く入ってこなかったという点です。そのことが後になって、いわば「免疫不足」という効果をもたらしたと指摘されています。つまり、日本では全体主義論をめぐる批判的な議論の蓄積が少なかったため、近年になってこの概念を無批判に受け入れる傾向があるということです。^6_3
論争の本質
全体主義概念は、学術的な分析枠組みであると同時に、政治的武器としても機能してきたという二面性を持ちます。ある政権を「全体主義」とラベリングすることは、その体制を打倒することを正当化する効果を持ちます。このため、この概念をめぐっては常に激しい論争が続いてきました。^6_2^6_3
素人がぱっと思いつくように見える考え方でも、その背後には70年以上にわたる複雑な思想史と政治的論争の歴史があり、決して「当然の話」として片付けられるものではないのです。^6_5^6_3
^6_10^6_12^6_14^6_16^6_18^6_20^6_8
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その素人が歴史を振り返って思うのは、どんな体制であれ、長期政権は悪い結果をもたらすということです。

その観察は、政治学において広く認識されている原則に基づいています。イギリスの歴史家アクトン卿が残した「権力は腐敗する傾向があり、絶対的な権力は絶対的に腐敗する」という言葉は、まさにこの問題を的確に表現しています。^7_1
長期政権の構造的問題
長期政権には政治の安定や諸外国との信頼関係構築というメリットもありますが、絶対的な権力構造ができることから政治が腐敗しやすくなるほか、官僚などが忖度し批判や反対表明がしづらくなるという弊害が指摘されています。権力の固定化による弊害として、癒着等のリスクも生じます。^7_3^7_1
日本の歴史的経験
日本でも憲政史上、総理大臣の連続在任期間が1000日を超えた長期政権として1980年代の中曽根政権と2000年代の小泉政権がありましたが、いずれの場合も長期政権終了後、日本は長い低迷の時代に入ってしまいました。第二次安倍政権以降の状況を「政権」ではなく「体制」と呼ぶべきだという指摘もあります。体制とはトップが入れ替わっても権力構造が基本的に変わらない状態を指し、長期腐敗体制と化していった要因が議論されています。^7_5
民主主義における権力交代の重要性
健全な民主主義社会においては、活発な議論を通じて権力を監視し、一定の期間で権力が交代することによって社会が強くなると考えられています。世界の民主主義国家では日本のような長期政権はありえないという指摘もあり、長い権力は必ず腐敗するため、その権力を変えることが本当の改革だという見方もあります。^7_7
独裁体制における権力腐敗
独裁体制ではこの問題はさらに深刻です。歴史が繰り返し例証してきたように、個人独裁は、独裁がもつ脆弱性ゆえに必然的に経済・金融システムの劣化を引き起こします。習近平の長期政権も、定期的な権力交代という仕組みが失われることで後継者問題などのリスクを抱えています。^7_2
任期制限の議論
こうした問題に対処するため、各国では任期制限の議論が行われています。日本でも地方公共団体の長の多選制限について憲法上の検討が行われてきました。ただし、1期限り(再選禁止)は憲法上問題があると考えられており、どの程度の期数制限が適切かは立法政策の問題とされています。^7_4
企業統治でも同様の問題
興味深いことに、この問題は企業経営でも同様に認識されています。社長の長期政権は、短期的には安定をもたらすものの、権力の固定化と意思決定の硬直化を招くリスクがあります。民間企業でも長らく続いた体制が代わった後に経営を安定させることは容易ではありません。^7_10^7_5
「素人の直感」として感じられることが、実は政治学や統治論における重要な原則であり、歴史の教訓でもあるのです。^7_1^7_7
^7_12^7_14^7_16^7_18^7_20
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トップに付いた権力者は任期制限を延長することに躍起になる例が見られますね。

まさにその通りで、現代の顕著な事例として中国の習近平氏とロシアのプーチン氏が挙げられます。^8_1^8_3
習近平の任期制限撤廃
中国では2018年3月、全国人民代表大会で国家主席の任期を「2期10年まで」とする憲法の条文を削除する改正が承認されました。これにより習近平氏は2期目が終了する2023年以降も国家主席の座にとどまることが可能になりました。この改正は、習氏が自らの任期を延長するために行われたもので、国家主席の重任制限を撤廃することで、三期どころか文言上は終身重任することにも道を拓くものでした。^8_4^8_6
プーチンの任期「リセット」
ロシアでは2020年3月、下院で大統領経験者の任期をゼロにリセットする内容を盛り込んだ憲法改正案が承認されました。当初プーチン氏は提案を支持しないと述べたものの、最終的には承認しました。この改憲によりプーチン氏は2024年の任期満了後、通算5期目の出馬が可能となり、最大2期12年、つまり2036年まで留任する可能性が出てきました。2000年の大統領就任から計算すると、実に36年間も権力を握り続けることになります。^8_7^8_3
アフリカでの相次ぐ事例
アフリカでも現職大統領が任期を延長する事例が相次いでいます。2023年7月には中央アフリカで任期制限撤廃が承認されました。大統領任期の長期化は強権の温床となり、中国とロシアがこれらの国々を支援している構図も見られます。^8_9
フィリピンでも同様の動き
フィリピンのマルコス大統領も公職の任期を制限する憲法の規定見直しに言及し、波紋を広げています。任期制限の規定はマルコス氏の父親であるマルコス元大統領による独裁への反省から1987年に導入されたものですが、その見直しが検討されています。^8_10
構造的な問題
これらの事例に共通するのは、権力者が一度トップの座に就くと、その権力を手放すことに強い抵抗を示すという点です。憲法改正という形式的には合法的な手続きを経て、事実上の終身政権への道を開こうとします。反対派からは「憲法上のクーデター」とも批判されています。^8_2^8_1
民主主義国での懸念
興味深いことに、日本でも緊急事態における国会議員の任期延長について憲法改正の論議がなされていますが、これに対しては多くの弁護士会などから「権力者による恣意的な任期延長の危険性」を指摘する反対声明が出されています。歴史が示すように、緊急事態を口実にした任期延長は権力の固定化につながるリスクがあるためです。^8_11^8_13
権力者が任期制限を延長・撤廃しようとする現象は、民主主義国・権威主義国を問わず、権力の本質的な性質を示しているといえます。^8_3^8_1
^8_15^8_17^8_19
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