富士登山は高校の必修科目でした

わたしは今までに一度だけ 富士山を登る経験をしました。自分からの希望ではなく、登らねばならなかったから登りました。なかば強制の形でありました。16歳になるかならないかの時でした。あれはその昔わたしが東京都内の某女子高等学校に通いだした初秋のことでした。高校一年生の必修科目として富士山登山が課されていたのです。必修科目とは、その名の通りその科目を通過することなしには卒業させてもらえない科目のことです。無駄な反抗はやめてクラスの全員が従いました。
何泊の予定だったかははっきりと覚えていませんが、おそらく3、4泊ではなかったかと思います。学校が富士吉田に寮を持っておりそこを拠点に、2日間は体慣らしに小さな山をのぼり、最後の一泊二日 本命の富士山に挑みました。

明け方にバスで五合目まで行きそこからの出発でした。引率はクラスの担任(四十代半ば)と副担任(20代半ば)の男性二人に二三人ほど富士山のベテランの山案内がつきました。小雨がぱらついていたのでジャージ上下に風よけ、そしてその上にビニールの簡易雨合羽を着用という出で立ちでした。 全員木の杖をもらいました。登山で一合登るたびにその杖に印をいただきます。杖は今では我が家の家宝となっています。印をもらう時が休憩だったのでしょうか。気圧の調整も兼ねていたのではないかと思います。 それでも途中副担任が高山病とやらにかかってしまい脱落するという場面もありました。

ひたすら登ったことを覚えています。 周りの景色や誰が隣を歩いていたのかなどという細かいことは覚えていません。歩けども歩けでも頂上が見えなく、テニス部で毎日2キロ走らされていたのよりも辛く感じました。足場に岩も植物もない滑りやすい急斜面のような危ない道もありました。案内人が注意を喚起してくれ、疲れてぼうっとしてきている頭で「ここを踏みはずすとまずいことになる」と覚悟し、精神統一をしながら緊張して一歩一歩確実に歩きました。小雨や霧が肌にまとわりつくような不快な天気で、疲れと緊張が頂点にとどいたあとは精神がハイな状態になり体も気持ちも楽になり、そうこうするうちに雲が濃くなりやがては太陽の光の強い雲の上に出ました。興奮して、活力が沸いてきました。

その日の目標である8 合目の山小屋に到着したのは予定通りの夕方前だったと思います。 夜山小屋は狭くて固く砂のざらつく女子学生がもっともいやがるような寝床でしたが、疲れていたので横になれると言うだけで幸せでした。頭と足を交互に餃子のように横になり、極度の疲労と気圧の低い空気による興奮でかほとんど眠ることなく起床。外に出て足下に注意しながら歯を磨きました。空気がおいしかった。

頂上についたときはまだ暗く、これから何が起こるのか眠いけれどもなにかワクワクした気持ちで待っていました。そして御来光を目にした時、登山でつらかったことや疲れなど一瞬にしてぶっとんでしまいました。自分よりも下に見える太陽。白い雲の海に色が朝日に染まってそれはきれいでした。

後々、この経験の意味の大きさがじわじわとわかるようになっていきました。おしゃれやブランドあるいは異性のことだけに興味を持っているティーンを捕まえて、山登りしかも世界の富士山に挑むことを強いた高校は偉大です。あの強制がなければおそらく未だにわたしは富士山に登ることも、富士山をこれほど畏敬の念を持って眺めることもなかったと思います。

日本人の多くの人に是非経験してもらいたいと思い、わたしの経験をお話しました。参考になればうれしいです。小さくても大きくても山登りに危険はつきものです。軽い気持ちで登らずに体長を整え万全を期して望んで欲しいと思います。案内人や山小屋の手配なども必要になるでしょうから、情報収集からはじめることをおすすめします。よい旅行となりますように。

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